新着情報

2012.09.03「患者の高齢化と病棟の安全」講座

社団法人 日本医療福祉設備協会
病院設備研究会主催の「患者の高齢化と病棟の安全」講座に参加いたしました。

1980年代に、病院計画の基礎がつくられ30年が経過し、
入院患者さんの高齢化とともに、計画の見直しが迫られる時期にきています。
今回の講座では、転倒・転落防止策を中心とした病棟の安全性の確保について
設計者のみならず、医療従事者の観点からもお話を聴くことができ、
大変今後の設計の為になる講座でした。

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(講座内容)

①高齢化と患者安全
~高齢者の特性を理解して安全を守る~
(東京都看護協会:山元理事)

②施設内の転倒の現状と課題
~看護の立場から~
日本赤十字社 医療安全課長 杉山先生

③高齢者の特徴と高齢者が多く利用する病院設計に求められること
井藤先生(東京都健康長寿医療センター)
加納先生(同 感染管理担当師長)

④全個室病棟の医療安全
~看護の立場から~
川崎先生(足利赤十字病院看護部長)

⑤病棟の空調設備と院内感染制御
志賀先生(佐藤総合計画 技術環境設計室長)

⑥病棟の照明の快適性と安全
~高齢者のための病棟照明~
手塚先生(ヤマギワ プランニングデザインセンター)

小川

2012.08.31問題です

 

2012.08.03オープンデスク2012

弊社テラスからの眺望
前回の更新から間が空いてしまいました・・・が!
 
今年も新卒者対象のオープンデスクが実施されました。
 
今年は2名が5日間で課題を作成し、最終日にプレゼンを行いました。
 
このオープンデスクの目的は課題に対する成果も大事ですが、
一番の目的として、所員と積極的にコミュニケーションをとっていただくことです。
 
私もこの課題に取り組んだのが2年前。
今年は2名のお世話をすることになり、当時のことを振り返りながら、
自分なりにアドバイスをさせていただきました。
 
課題に対しては2名とも始めからしっかりと自分のテーマを持っており、
所員のアドバイスをうまく取り入れながら、最終日のプレゼンに臨みました。
 
この短期間の中で作成したとは思えないほど、しっかりとまとめあげ、
所員からの評価も高い成果を残してくれました。
 
2名とも本当にお疲れ様でした。
 
 
おのうえ

2012.06.29淀川キリスト教病院 竣工見学会

チャペルと融合した病院の外観

 

日本医療福祉建築協会主催の見学会に参加してまいりました。

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「 チャペルを中心にした癒しの病院」をコンセプトに、
細やかな配慮の行き届いた、随所に癒しの感じられる素敵な病院でした。

病院の中に、癒しとして屋上庭園などの植物や自然のちからを活かす
ことは、ありますが、このような心のよりどころとなるチャペルを内包した
病院を実際に体感することができ、大変勉強になりました。




小川
 

2012.06.12建築家 菊竹清訓氏 追悼の集い

建築家 菊竹清訓氏 追悼の集い

少し前の報告になりますが、「菊竹先生の追悼の集い」に参りました。

412日、早稲田大学の大隈大講堂で、
1000人以上の建築関係者(日本の著名な建築家のほとんどの方
が参列しておこなわれました。

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初めて大隈講堂に入りましたが、やはりその風格に圧倒されました。
そして菊竹先生の著書にある大隈邸の暖炉の煙突を思い起こしてしまいました。

会は進行司会役を内藤廣さんがされ、別紙にあるように弔辞を読まれた方の
思いが伝わる話ばかりでしたが、その中で伊東豊雄さんの弔辞は菊竹先生の
別の一面あるいは先生の本質にせまる素晴らしい弔辞で、なんと拍手が起き
るほど参列の皆さんに感銘を与えました。
全員の献花を終え、場所をホテルに移して「偲ぶ会」が行われました。

ロビーには先生の学生時代のスケッチ、京都国際会館の模型、
とうぜんスカイハウスの模型が置かれて、
年代別のそれぞれが持ち寄った写真等も展示され、
森英恵さん、司葉子さん、ジュディオングさん、マリークリスティーヌさん
など建築関係者だけでなくいろんな分野の方が参加され、
先生の幅広い交友関係を感じました。
昔の仲間との再会もあり
(30年ぶりの方々ばかり)
皆さんの話をお聞きするうちに気持ちが引き締まる思いに至ったのも、
やはり菊竹先生の教えのひとつかもしれません。

翌日は四谷の聖イグナチオ教会で追悼ミサが行われました。
この教会は昨年、ご一緒した村上晶子さんが設計を担当された教会で
一度訪ねてみたいと思った教会でしたが、こんな形で来るとは予想も
しませんでした。

村上さんから菊竹先生が洗礼を受けたとは聞いていましたが、
ダビデ菊竹清訓としての追悼ミサでした。
その表紙に先生が
20歳の時に応募された広島平和記念カトリック
聖堂のスケッチが掲載されていました。

1948年は私の誕生年であり、またまた感慨深いものがありました。

江下